mei_diary

嵐とSixTONESを中心としたドルオタの不定期投稿ブログです

暖かなその笑顔と、この先もずっと

髙地優吾さん。

何歳、とは一旦言わないでおきますが、1つの大きな節目ですね。誕生日おめでとうございます。

 


そういえば本気で年齢非公開にするみたいですけど(というか、今はもう非公開になったのかな?)、私があなたの生まれた年と年齢を忘れることはおそらく無いんじゃないか、と思います。

だから、「いや年齢知ってるから!」ってツッコミを入れたいところなんですけど、年齢非公開の髙地さんも案外アリだな、という気が今はしています。SixTONES初見の時点で髙地さんは年下組だろうと思ってたほどなんで…、これなら非公開でもどうにかなる。笑)

まぁ、年齢を非公開にしようがどうしようが、私はあなたのことをこれまでと変わらず応援するし、好きでいると思います。

…あ、もしまた年齢を公開する日が来たら、その時は年齢まで盛大にお祝いしますからね!笑

 


さて、少し話は変わりますが、先日、縁があってSixTONESのライブに行くことができました。

お世辞、冗談いずれも抜きでとんでもなくかっこよかったです。


そんなライブ中に感じたことがあります。

髙地さんが、客席にいるファンの方々に笑顔で手を振っているのを画面越しに見たときに、ものすごく幸せな気持ちになったんです。それが、決して私に向けられたものではないのに。というか、きっとあの場所にいた私は、あなたには見つかるはずもない、ステージからは離れたところからあなたを照らそうとする黄色い光のひとつにすぎなかったのに。

とある誰かに向けた眩いばかりのその笑顔。それだけで私の心は満たされてしまった。

その瞬間、“アイドル 髙地優吾”が好きなんだと改めて感じたし、そんなあなたを好きになってよかったと心から思いました。


髙地さんがこれからもアイドルとして、何よりSixTONESの一員として、私たちを楽しませてくれるなら、幸せにしてくれるなら、そしてあなた自身も幸せでいられるなら。それほど喜ばしいことがあるでしょうか。


これからも、髙地さんらしい、髙地さんにしか進めない道を突き進んでください。

私も、その歩みをしっかり見守って、そしてたくさん盛り上げたいと思います。

 

 

ちょっと短いけど、ひとまず今回はこの辺でお開き。この続きは5月下旬のあの日にでも取っておこうと思います。

 

 

 

改めて、誕生日おめでとうございます。

髙地さんがこれからますます輝いていけますように。

ずっとずっと大好きです。

あの頃届かなかった光が、今を煌々と照らしていた

ふと、過去に戻りたいと思うことがある。


別に、今を変えたいわけじゃない。でも、こうしていれば、これがあれば、あれができてたらもう少し違ったんじゃないか、という時代が私にはある。


それは中学校に通っていた頃のことだった…。

 


そもそも、以前ブログで言及していたことがあるが、私は中学生時代、意図的に自分のことを嫌いだと思うようにしていたことがある。何があったかといえば、ざっくり言うと“自己陶酔”との混同だ。周囲の環境も、自分の安直な思考も相まって、「自分のことが好き」という考え方に抵抗感を持ってしまっていた。

そして、その感情を助長した要因に、圧倒的な自分への自信のなさがあった。

第一に、突出した特徴なんてものが私にはない。世渡りもどちらかといえば下手なほうだし、人の目はそこそこ気にする方で、気にしいで、割と根暗で、ネガティブだった。それもあったのか元々なのか、自ら目立つのも、注目されるのも、あまり得意じゃない。どちらかというとひっそりしていたい人だったし、それは今でもそう。

あと蛇足かもしれないが、元から学校のクラスの中でも立場は一貫して弱い方だったし、大抵悪い意味で目をつけられていた。気づけばいつも、誰かにとってのターゲットだった。いじめも多々受けたし、狙われすぎていちいち覚えてられたもんじゃない。だけど、「過去になんか嫌なことをされた」「嫌なことがあった」という記憶だけは焼印のようにはっきり残っている。

 

気づいたらずっと受けていたいじめとか、一方的に恐れていた周りの視線とか、そういうので積み重なっていった自己嫌悪とか。数多の負荷によって私の身にもたらされた、色彩などない、単調よりも単調な日々。勉強も、習い事も、なんなら娯楽も、大抵のことに意味を見いだせなくなっていたし、自分が生きている理由すら見失っていた。

感情はもとより存在すらもあったもんじゃない、周りにも自分にもいかに波風を立てずに過ごすか、それだけに神経を使っていた。

気にするべきものじゃない余計なことにも神経を使っていた、というか、気づいたらそういう余計なものしか私の周りにはいなかったというのが正しいだろうか。そればかりを気にして、萎縮し続けていた。


高校生になってからも、中学生当時の思考や意識を要因とするであろう失敗はいくらかあったし、負の連鎖はある程度断ち切っても自分に自信が持てたわけじゃなかった。怖いものは、いつでも“誰かの視線”だった。

結局のところ、やっぱり自分に自信は持てないし、自分自身のことも、めちゃくちゃ嫌いなわけじゃないけど、そんなに好きでもないらしい。というか、実際どっちなのかもよく分かってないと思う。

 

 

時は経ち、大学生になった。当時よりはだいぶ楽に生きられるようになった。「夢」と言うにはちょっと大袈裟かもしれないけど、やってみたいことを見つけ、それに向かって走っている。

だけど、何かにつけて自信のない自分が顔を出すことがある。


ある実践系の授業で、複数人でグループを組んでアクティビティをしたときだった。私に向けた改善点を先生から告げられたとき、自分の自信のなさと不甲斐なさに、人前だというのに涙が止まらなくなったことがある。

元々、自信はない方だった。不安は最初から大きかった。でも、そこにいるのが私じゃなかったらもっといいものになってたかもしれないのに。私がそれのクオリティーを下げてしまったんじゃないか。そんなふうに思ってしまった。

またひとつ、嫌いなところが見えてしまった。なけなしの自信も底をついた。

受け入れられそうだった“自分”が何か、また分からなくなった。

 

 

SixTONESの4thアルバム「THE VIBES」のユニット曲が解禁されたのは、まさしくそんな日だった。


プレミア公開で全曲聴いた後、改めてもう一度じっくり聴こうと再生したら、「Blue Days」があまりにその日の私の心に突き刺さって、再び泣いた。

さっき泣いてたばっかりなのに、また泣いた。

泣いたって悔やんだって

そのままで綺麗だよ

隣に居るように歌を歌うよ

何度も泣いたのは、紛れもなくここだった。何度も聴き返して、その度に泣いた。このフレーズにも、このフレーズを歌う髙地さんの優しい歌声にも泣いた。実際、フルサイズで聴いてからは、同じ歌詞を歌うジェシーさんの歌声にも、幾度となく心を暖めてもらったものだ。

 

 

そして、少し冷静になった時に思った。「中学生の頃にこの曲と出会いたかった」と。

これが、私が過去に戻りたいと思う理由の1つだ。当時の私にこの歌を聴かせたい。

どうしても、これはあまりに“私のこと”すぎると思った。

 

例えば、1番Aメロ。

他人の芝が青く見えたり

「好き」が1日で裏返ったり

そんなつもりなくたって

自分がうまく愛せなくて

 

疲れたなって表現が下手な

面の皮で繕わなきゃって

心は見せないブルーシート

中は汗だくで苦しいよ

このAメロだけで、私は「なんで私のことがこんなに分かるんだろう」という自惚れた感想を抱いた。のっけからこの調子である。

 

解禁日に泣きじゃくったあのサビを経てもそれは続いた。

どう思われてるかなんかも

確かに気になるがなんかもう

そこ重要視し始めたら

ブルーになりそう

このご時世自分を犠牲にしてちゃ

驚きも喜びも忘れそう

ここもまた特に「そのまますぎる…」と思った。あまりにも私だった。

 

思えばあの頃の私は、ありとあらゆる“好き”という感情がなぜか怖かったし、いつしか自分のことも嫌いになっていた。そういう自分悪くないなって思いが芽生え始める自分もまた嫌いだった。

“そのままの自分”ではきっとやっていけない。心の内なんて見せようともしなかったし、ひたすら苦しかったけどそんな自分にも目を背けていた。

自分をどうやって大切にしたらいいか、というか自分のことが自分でも分からなかった。どう思われているか、どう思われるか、それしか気にしてなかった。自分を犠牲にしすぎて、文字通り驚きも喜びも何もあったもんじゃなかった。

 

ずっと、ブルーだった。ずっとずっと、堕ちていた。

 

そんな、自分自身のことが心の底から嫌いで仕方なかったあの日の私が聴いたら、どんな反応をするだろうか。泣き崩れるだろうか。いや、そもそも泣けるだろうか。きっと、そう素直には聴けないだろう。

逆に、そんな歌聞いても無駄だ、と余計に塞ぎ込んでしまうのだろうか。どうせこの歌を聴いたところで何も変わらないんだから、綺麗事なんて歌うなよ、聴かせるなよと逆上する可能性もある。

 

この歌で無かった事に

ならないってわかってるよ

だがこの歌はこう言葉にしている。その通りだと思う。歌ひとつで自分の置かれた環境が改善されるなら、その状況が好転するなら誰しも困ることなんてない。

そこまでの力は、さすがにどの歌も持ち合わせてはいないだろう。

だから、当時の私はこれを聴いたところで逆上しかねないのだ。そもそも、なぜ音に乗せて言葉を紡ぐのか、音の連なりの意味とは、理由とは…、そんなことを考えるほど病んでいたので、当時の私に対して音楽が意味をなさない可能性すらもある…。

 

それでも届いてほしいと思うのだ。めちゃくちゃに荒んでいたあの日の私の心に、この歌の優しさが、2人が奏でる暖かさが。

 

 

とはいえ、この歌を、「Blue Days」を当時の私に聴かせたいなんて、そんなのも今の私のエゴに決まっている。

だが、そうだろうと構わない。無理矢理にでも聴かせようと試みると思う。

 

だって、この歌の何かがあの日の私の中で引っかかる気がするから。今の私にあのフレーズが刺さったように。

結局どれだけ時間が経っても、考え方が変わっても、私は私でしかないから。4〜5年で性格も思考回路もあの頃と真逆の人間になれるほど私は器用じゃないから。

 

あの頃の私には届くはずもなかった光が、今ここで私を照らそうとしている。私もそろそろ前を向かなければいけない。

 

 

「Blue Days」は、あんな過去も、荒んだ心もひっくるめて、間違いなく“私”を受け入れて認めてくれた歌だ。

輝きは色褪せない

いざ“その時”が迫ると、何も言葉が思いつかなくなるものだ。

 

 

 

 

彼ら自身の人生を左右するほどの大きな決断に、多くの人が驚いたあの日、あの時。

 

それからの約半年、特別ファンというわけでもないのに、彼らのパフォーマンスのひとつひとつを可能な限りなんとしてでも噛みしめようとする自分がいた。

 

悲しいことに、“最後”への恐怖が未だに拭えなくて、向き合いきれなかったものがたくさんある。

それでも、頑張って向き合った5人最後の晴れ舞台。これまでの道のりが確かに身に沁みる選曲もさることながら、1番胸に響いたのは何より5人それぞれの姿だった。涙を堪えながら歌う姿も、最後まで笑顔で歌い続ける姿も、5者5様の全てに響いてくるものがあった。

 

 

 

みんなが憧れるジャニーズアイドルの代表格のような人たち。思えば、私は他のグループのファンの立場から、彼らの輝きを何度羨んだのだろう。

影響力も大きく、キラキラと輝きを放つ彼らがなんだか羨ましかったし、正直嫉妬したこともあった。でも、いつしか好きになってきていた。これからこの5人はどうなっていくんだろう、楽しみだな、その矢先だった。

 

一丁前にびっくりしたし、悲しくなった。

“ずっと”なんて言葉は実は脆くて儚い。知りたくもなかった現実だった。

だから、彼らの足跡の一部を少しでも噛みしめたくなったのかもしれない。

 

そう思うぐらい、魅力あふれるメンバーが揃ったグループだったと私は断言できる。

 



 

5人でいるのが最後なんて信じられないし、信じたくない。どれだけそう願っても、いよいよそんな言葉すら通用しない時がやってきた。

 

6人で始まり、5人でここまで紡いできた物語。どんなストーリーだったのか、それはきっとメンバーとファンが誰よりも知っている。

 

 

 

 

5人での最後のステージ。

泣きながら笑い、涙を浮かべ、笑顔を貫き、溢れる想いを堪え、“最後の一言”に託す。

みんなが見せた涙も笑顔も、「King & Princeでいてよかった」という想いの表れだと思うし、そう信じていたい。

 

 

 

 

旅立つと自分で決めたって、いざその時が近づけば寂しさは募るし、あっけらかんとしていたって、何も感じていないわけじゃない。

 

 

 

 

それぞれの新たな道へ進む3人と、2人で新たに歩き出すKing & Prince。

これからの道のりは一体どうなっていくだろう。

 

そこに何が待っていても、みんなが「この道を選んでよかった」、そして「King & Princeの一員でいられてよかった」そう思える未来が来てほしい、と願うばかり。

 

 

 

 

なんだかんだ、私自身も幸せをお裾分けしてもらっていたなぁと思います。

何よりの感謝を。本当にありがとう。

そして、旅立って新たな道に進む3人も、これからまた物語を綴り続ける2人も、各々の信じた道を、色々な経験や出会いを楽しみながら進んでいってください。

 

 

 



 

 

 

 

 

 

 

I want you guys to lead your own wonderful life. Thanks a lot!!!!!!

 

At last, the story of King & Prince will be continued...

櫻坂46を“見つける”まで

小学生の頃に嵐を知って、好きになった。

それからしばらくして、ジャニーズを知り、各々の個性に魅せられていった。

ジャニーズ以外のものはそれほど気に留めていなかった。

 

 

そんな筆者がほぼ初めて本格的にジャニーズ以外で興味を持ったアーティスト。それが、櫻坂46でした。

 

 

なぜ彼女たちに興味を持ったのか、それを覚えている記憶を頼りにしながら振り返ってみると言うのが今回の内容。要するに櫻坂46への沼落ちブログです。

 

 

てことで早速本題に入ります。※一部ネガティブな感情も正直に記載しましたご了承ください…。

 

元々は2016年に「欅坂46」としてデビューしていたグループ。当時小学6年生だった私の中で、欅坂46は割と“気になる存在”だった。私が今まで知っていた女性アイドルとはまた違った、新しい“かっこいい”が彼女たちから溢れていた。

メンバーの顔と名前もあまり詳しく知らなかったし、特別追いかけるまではしていなかったが、それでも音楽特番の出番になったら結構観ていた。割と好きだったと思う。

でも、ずっと好きではいられなかった。時を重ねるたび、リリースされる楽曲のテーマが少しずつ重く感じられてきた。テレビで観たパフォーマンスが、「センターVS他メンバー」の対立構図のように見えてしまって胸が苦しくなった。

いつしか、それまで欅坂に対して持っていた“好き”と言う感情は崩れてしまった。

 

それからはほとんど観なくなった。メンバーの卒業や脱退が発表されて世間がざわついても、欅坂46から改名すると発表されても「へぇ、そうなんだ」ぐらいで終わっていた。実は、2期生が加入していたことも知らなかった。

 

そして、2020年10月14日、彼女たちは「欅坂46」から「櫻坂46」になった。

でも、改名後のシングル「Nobody's fault」のパフォーマンスも、以前の欅坂ほど真剣に観ることはなかった。

 

 

 

ところが、年の瀬に事件は起きた。ある音楽特番を観ていたときだった。

櫻坂46の出番になった。『櫻坂46としてデビューしてすぐなんだ、きっと今日も「Nobody's fault」を歌うんだろう』、私はそう思っていた。そんな勝手な想像は、パフォーマンスが始まって見事に打ち砕かれた。

そのとき彼女たちが歌ったのは1stシングルのカップリング曲の1つ、「なぜ 恋をして来なかったんだろう?」だった。

カップリング曲をテレビで歌っているという状況への衝撃もさることながら、かなり失礼かもしれないが純粋に「こういう曲もあったんだ、歌えるんだ…!」という感動が押し寄せてきた。彼女たちのことを実は何も知らなかったという何よりの証拠であろう。

 

MVを速攻探した。観た。好きでしかなかった。

櫻坂46 『なぜ 恋をして来なかったんだろう?』 - YouTube

 

その後一時的に櫻坂からは離れたが、3rdシングル「流れ弾」をきっかけに再び興味を持った。

 

だけど少し怖かった。なぜ怖かったのかは覚えていないのだが、どうやら当時の私には勇気がいるものだったようだ。

 

でも、勇気を出して観てみた。度肝を抜かれた。そして、あっという間に櫻坂に落ちてしまった。

櫻坂46『流れ弾』 - YouTube

 

 

 

という流れで、ペースは緩やかながらも、櫻坂46を応援し始めて今に至ります。

 

 

思うように追えていなくて申し訳なくなる点もあるけど、彼女たちに欅坂46としても櫻坂46としても出会えてラッキーなのかなって思います。

 

櫻坂って、最高にかっこいいし、可愛いし、心も暖かい人たちが集まってるんだなって見ていて思います。

 

 

これからも高みを目指していくであろう櫻坂46。ひっそりとですが、これからも応援しています。

“やっぱり6人だよな”、そんな6人へ。

SixTONESの皆さん、結成8周年おめでとうございます。

 

出会って11年、運命を共にして8年。あっという間とはまさにこのことだと。

 

そしてデビューして3年、初めて6人だけでドームに立った時の景色はどうだったのか、想像しかできないけど、とても素敵な景色だったんだろうなと思っています。

 

そうして、これまでの道のりのすべてが、今に繋がる。

 

 

私たちが思っている以上に大変なことがたくさんたくさんあるだろうし、その度にどれほど押し潰されそうになっていたのか、詳しくは分からないけどやはり計り知れないことだろうなと改めて感じます。特に、先日のYouTubeによれば、潰れててもおかしくなかったというほど昨年(2022年)は大変だったとか。(※この動画です:【SixTONES】占い2023運勢ランキング - YouTube

 

それなのに、6人ともそれを微塵も感じさせなかった。

 

私がファンになって3年と少し。その中でも(比べるには年数が若干短い気もするけど…!!汗)いちばんと言っても過言ではないほど、SixTONESと歩んだ2022年は楽しかったです。

 

きっとそれはそれぞれが目の前にあるひとつひとつの物事に向き合って、着実に成功させてきたから。そして、6人がひとつになって、より強固な絆をもってここまで歩いてきてくれたから。

 

「はっきりした理由はわかんないけど、なんか6人を見ているとすげー楽しいんだよな、もうとにかく幸せなんだよな」

いつになくそう思った2022年、その裏で人知れず数多の辛いことを乗り越えてきていたこと、2023年になってから昨年を振り返り、「マジ大変だった」って言っていること、それが「やっぱりすごい」でしかありませんでした。

 

2022年、あらゆる角度から私たちを楽しませてくれたSixTONES。グループとしてもアルバムやシングルだけでなく、「THE FIRST TAKE」、「バリューの真実」のレギュラー化、突如公開された「PARTY PEOPLE」、締めはなんと紅白のトップバッター(シェアとシェアでシェアわせ!)。個人ごともそれぞれ充実していたと思うし、何より大変だった中でここまで楽しませてくれたこと、感謝しかありません。

 

 

 

 

時が流れていけば、周りの環境も変化していくし、激動の時代がまたやってくるかもしれない。

何が起きるか分からない中で、“ずっと6人でいてほしい”なんて、いちファンの勝手すぎるワガママに決まってるけど、それでもそう思ってしまいます。

 

でもやっぱり、6人でいてくれてありがとう、たくさんの幸せをくれてありがとう、楽しませてくれてありがとう、今はそんな気持ちです。

 

 

いつもありがとう、そして、まだまだこれからもよろしくお願いします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

I always hope you guys to stay happy, with big love and thankful.

あれから2度目、それでもなお。

毎日が何てことない日であり、その毎日に何かしらがある。

 

さて、今日。11月26日。

私にとっては、自分の人生で初めての“推し”、嵐の大野智さんの誕生日というある種の一大イベントだ。

 

大野さん。

いつしか、私は彼をそうとしか呼べなくなっていた。これまでに下の名前で呼ぶことはほとんどなかったが、今の私は“大ちゃん”とも呼べない。

 

 

大野さんが“夏休み”に入って2年目。

 

大野さん何してるだろう。元気かな。

 

最近、大野さんのことは大抵そんなことしか考えてない。

 

 

 

もちろん、また会えるなら、会いたい。

どんなことをしているかな、充実してるかな。

そんなことも時に思います。

 

 

でも今は、とにかく元気でいてほしい。

何より、大野さんには幸せでいてほしい。

 

それが私の願いです。

 

 

 

42回目の誕生日おめでとうございます。

またいつか会えたらいいな。

 

幸せでいてください。

 

 

私にとっては変わらず、大好きな人です。

“過去の自分”に教えたい、「2年前じゃなくて“今”だから」

もし、2年前にこの曲がリリースされていたのなら、私はどうなっていたんだろう、と思う。

今の私と同じくらい喜んでいただろうか、はたまた今の私よりも喜べていただろうか。

 

youtu.be

「Good Luck!」を受けて、ふと“過去の自分”を思い返した。

 

 

2年前のちょうど今頃か、もうちょっと後か。

SixTONESに対して、必要以上の期待を抱えていた“過去の自分”。

SixTONESに、思いっきりアイドルな曲・一面をどこかで求めていた“過去の自分”。

 

後ろめたさと本音と、6つの音色。 - MEI

このブログの中で回想されているのは、そんな“私”だ。

 

 

「NEW ERA」のカップリング「Life in color」に心躍らせ、「僕が僕じゃないみたいだ」でようやく来たと舞い上がり、「1ST」の頃に、必要以上の期待を向けていたことにようやく気づく。

この頃は、私のSixTONESファン人生の中でも、いちばん感情が不安定だった時期だったと思う。

 

 

その後、私はこの頃より確実に、まっすぐにSixTONESを応援できるようになった。

 

 

 

それを経た今、「Good Luck!」が世の中に発信された。

 

2年前にこんな曲がSixTONESにあったなら、私はどれだけ喜んだのだろうか、と思う。

確実に、当時の私はこんな曲を望んでいた。

 

だからこそ、私は“2年前の私”にそれを教えに行きたい。そして、

2年後に、あなたが聴きたがっているようなテイストの曲がリリースされるよ。その喜びは、そのときになってから気づくと思うから、今はそれを信じて待っててみて。

と言って、そそくさと帰ってくるのだ。…にしても、だいぶ上から目線だな、私。

 

 

でも、時を経て、私は何かしらが変わったんだと思う。

大筋は変わらずとも、2年前から曲の好みもある程度変わった気がしている。

というか、あの頃は「Life in color」とか「僕が僕じゃないみたいだ」にえらく傾倒していたというのに、「NEW ERA」のかっこよさにようやく気づいたり、さらに直近では「共鳴」最高すぎんか、「PARTY PEOPLE」大好き〜等々…。もちろん上記の2曲も好きなんだけど、今まで聴いてなかった系統の曲の視聴回数が増えた気がする。これは明らかに私の中で何かが変わった。一体何があったんだ筆者。

 

 

私はいつしか、あの頃より冷静になっていた。

 

 

でも、確かに喜んでいた。

 

 

 

 

私はきっと、彼らの本業である“音楽”を通して、彼らのとびきりの笑顔を見られる日を意識せずとも待っていたのかもしれない。

 

 

それが、私の期待していた景色なのか、今はもうそれは分からないけど、私は幸せだった。