「私は本当に嵐が好きなのか…?」
いつしかこの感情が、私を大いに苦しめてきた。
小学2年生で嵐に出会い、好きになってから10年経つ。
嵐が活動休止してからのこの約2年の中で現れ、忘れた頃にふと訪れては私をこれでもかと悩ませ、散々なまでに苦しめる、“私は本当に嵐が好きなのか”という小さくて大きな疑問。
いや、好きなはず、大好きなはずなのだ。
少なくとも、永遠に嫌いになるなんてありえないということは確実であり、それだけ私にとっても大きな存在だということは明確だ。
また、どんなに他のグループに興味を持っても、“嵐が好き”というのは私の誇りだった。
しかし、それに陰りが見えてしまった。
それは嵐の活動休止が近づく2020年の終わり頃からだった。
5人がこれでもかとテレビで特集され、レギュラー番組の「VS嵐」や「嵐にしやがれ」も幕引きが近づき、これまでの名場面集やメンバーの特集が自然と多くなった。
私には怖くて見られなかった。
本当の終わりじゃないのに、本当の終わりのように思えて。
これで最後なわけじゃないのに、終わりが近づくのが怖かった。
怖くて怖くて、これでもかと逃げた。
大好きなはずの嵐からたくさん逃げた。申し訳なくなるぐらい、嵐から距離を置いた。
元はといえば、2020年の始めから既に“活動休止”への恐怖から頑張って逃げようとしていた。
恐怖から逃げる場所を探し、嵐から距離を置いては逃げ場に突っ走った。そんなありとあらゆる逃げ場にも申し訳ない。
また、ファンクラブで配信されていた「嵐ジオ」も、年が明けて2021年5月いっぱいまで配信されていたのに、それすら怖くて聴けなかった。
2021年はそもそも“嵐”を感じるのが怖かった。
絶対に寂しくなるって分かっていたから。
年明けすぐはやっぱり寂しかった。
しかし、3ヶ月もした頃には寂しさも薄れていた。
嵐が出ているテレビも見られない、ファンクラブの嵐ジオだって聴けない。なんなら嵐が出てこなくなっても寂しさすら感じない、嵐のメンバーが出ているテレビも、思うように見られない。
なんて無情な奴なんだ、こんなの嵐ファンなんかじゃない。なんで私はこんなひどい人なんだろう。ただただ自分を責めた。
何が正解なんだろう。
直前のブログ(後ろめたさと本音と、6つの音色。 - MEI)でも少し触れていたけど、ファンの線引きって曖昧で。「この条件を満たしていたらファン」っていうのも特にない。だから、ただ苦しくて。
おまけに、直前のブログでも自分のことを責めた話をして、ここでも自分を責めた話。
どれほどまでに自分を責めたら私の気は済むのだろうか。
少しずつ、嵐のことを考えても大丈夫にはなってきた。
嵐が好き、その思いが変わるわけではない。
でも、自信が持てない。自分を責めてしまう。
私の人生において、いちばん印象的で、大きな存在だからこそ、
「私は嵐のファンなんだ、嵐が好きなんだ」
って、もっともっと胸を張って言える人でいられたらどれだけ良かっただろう、どれだけ楽だっただろう、とつくづく思う。
この自問自答の答えは、いつまとまるのか。
まだ、その結論は出そうにない。