一昨年から感染が世界的に拡大し、未だ猛威をふるい続けている新型コロナウイルス。
感染状況が予断を許さない中でも、エンターテインメントは確実に動き始めています。
一昨年は、ほぼ全てのコンサートや舞台等劇場公演が、軒並み中止に。
昨年からは、感染対策を入念に行いながら、コンサートも劇場公演も再開しつつあるという現状。
「不要不急」と言われ、多くの関係者が辛い思いをしてきたエンターテインメント業界。
安心しきれない状況ながらも、そこから前に進み始めたということは、確実な進歩だと思うんです。
だからといって、世界は何一つコロナ禍前に戻ってはいない。それはエンターテインメントも例に漏れることはない。
それでもなお、まるでコロナ禍前と同じように振る舞う人がいるとかなんとか…。
これでは、ただでさえ危険な世の中だというのに、エンターテインメントはさらに危険に晒されている、ということになります。
なにが“危険”なのか。
私は、エンターテインメントに関わる全ての方々の身の安全を確保しきれないということが“危険”だと思うんです。
“身の安全”、この場合はマスクを着用する、消毒をするなどの、コロナウイルスの感染対策を主に指しています。
その中でもコロナ禍前と同じように振る舞う、というのは、マスクをしない、消毒もしない、あからさまに声をあげる、などということです (もしかするとこれ以外にもあるかもしれない…)。
ここで、コンサートを例にとって説明します。
コンサートには多くの人が集まるので、マスク着用や消毒、検温はきちんと行わなければいけません。
また、自分たちで用意するなり主催者側から配布されるなり、フェイスシールドが必要なケースも決して少なくはありません。
少なくとも、マスクやシールドは目に見えて分かる、非常に目立つ部分です。
また、現在行われるコンサートは、歓声をあげないように、と規定されているものがほとんどです。
それなのに、シールドはおろか、マスクすらしないなんて。うっかり漏れたというわけでもなく、意図的な歓声をあげるなんて。
そういうことをする人たちに問いたい、どこまでエンターテインメントを危険な目に遭わせるつもりだ…。
第一に、コンサートや舞台公演など、“出る側”の人たちがマスクを着用して出るなんてことはほぼ不可能。まして、声を出さないで公演を行う、なんてことできるわけがない。
だから、観客、すなわち“見る側”の人たちがマスクやシールドをきちんと着用し、声を出さないように、ということに努めなければいけないはずなのです。
そして、“見る側”になった人たちは、それを承知、また覚悟の上で行かなければならない、私はそう思います。
エンターテインメントが動き出したとはいえ、危険性がなくなったわけではありません。
感染者が出たから公演が中止、という事態が生じる前に、感染のリスクを最小限まで抑えなければならないのです。
エンターテインメントに関わる人たちにも、暮らしがあります。出演者・スタッフの皆さんは、感染のリスクを抱えながらも、エンターテインメントを通じて、見てくれる方々に幸せを届けようと尽力してくださっています。
そんな彼らのリスクを軽減できるのは、私たちひとりひとりです。
私たちが感染対策を心がける、それだけでも、彼らの身に及ぶリスクは減らせるはずです。
時と場を問わず、どんなに気をつけても感染する可能性がある、ということはもちろん、コロナ禍が続く中でコンサートや劇場公演に行くということ、それは、決して安全ではない状況下に身を置くということであり、大きなリスクを伴うことでもある、ということを覚えておく必要があります。
だからこそ、リスクを減らす、自分を守り、また他の人も守るために、できる対策をとるということを決して忘れてはいけないのです。