mei_diary

嵐とSixTONESを中心としたドルオタの不定期投稿ブログです

「自己肯定」 への羨望

ここ最近、“自己肯定感” についてあれこれ考えを巡らせるようになった今日この頃。

突然の深すぎる話、でもきっかけだってきちんとあるんです。

ということで、今回は、私の一方的な自己肯定への羨望について話していこうかな、と思います。

 

 

…さあ何を隠そう、これが自己肯定感について考え始める大きなきっかけだ。

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SixTONESYouTubeの企画「今好きなもの…100個書いてみた!」のときのショート動画。

自分が好きなものを1位から100位まで書く、というシンプルな企画。

 

そして、このショート動画では、森本慎太郎くんと髙地優吾くんの「好きなもの100位」の話題があがりました。

 

ここでは髙地くんの回答をベースに話を進めます。なぜなら彼の回答が今回非常に重要になるから。

 

さて、サムネの通り、彼は100位に「自分」と書いています。

が、京本くんの「ホントに100位か?」を皮切りにメンバーから突っ込まれたのち、北斗くんに「実際何位くらい?」と聞かれた髙地くんの回答は、

「自分? 2位。」

と、かなりの上位に位置する結果に。

 

 

この回答、衝撃でしかなかった。

勝手な想像の話だけど、髙地くんがここまでハッキリ自分が好きと言うなんて、言えるなんて思ってなかったから。

 

そんな彼の回答に頭を殴られたような衝撃に見舞われた翌日。

 

樹くんが「ZOO‐1グランプリ」に出演するにあたってのコメント動画を見たのを境に、私は本格的に「自己肯定」を考え始めてしまった…。

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「あなたが“熱愛”するものは?」という質問に、少し考えたのち、「自分」と回答。

 

回答にはまたまたびっくり、でも、その質問への回答と説明だけで、「す、すげぇ…。」と感心してしまったんです。

 

 

 

なぜ“自己肯定”を考え出したのか。その理由は単純。

「自分が好き」って言える人が、そう言えることが、とてつもなく羨ましかったから。

 

なぜ羨ましいか、だって私がそうじゃないから。

 

私は私が嫌い、とバッサリ言い切らなくていいくらいにはなったけど、どちらかと言われれば自分のことは嫌いなほう。

 

というか、「自分のことが好き」と言うことがイヤだったことがあって。

そう言うと、なんかナルシストみたいで。自分の周りが、ナルシストへの印象が芳しくない環境だったのもあり、「自分のことを好き=ナルシスト→よくないこと」という価値観が刷り込まれ、そうなりたくない一心で、自分を嫌うようになってしまいました。

 

また、学校において、私は好ましくない目に遭い続け、自分への自信もなくなり、その結果、どこまでも自分を卑下して、我慢して、抑え込み、ひたすら嫌い続ける、ということまでしないとどうにもやっていけなくなってしまう、という史上最悪の精神状態に陥ってしまいました。

 

 

 

高校に進学してからは、そう感じることは減り、自己否定もある程度改善。でも、未だに自己否定感は拭いきれない。

そして、やっぱり自分のことを好きにはなれない。

 

そんな私にとって、「自分が好き」と堂々と言えることは正直とても羨ましいし、上記に示した2人みたいに、そう自信を持って言える人は本当にすごいと思うんです。

 

 

決して過度に自惚れたり、天狗になったりしてはいけない。

でも、過度に自己否定してもいけないんだと思う。

 

過剰にならない程度に、自分のことを好きでいられる人でいたいなぁ、なんて今の私は思います。

 

 

 

前の私には、こんなこと絶対に考えられなかった。なぜなら「自分が好き」というのは邪道だと思っていたから。

だからこそ、「自分が好き」でいられたほうが絶対良い、って思えると、心がちょっと軽くなると思います。

 

 

バランスを見つつ、自信を持てるように、自分のことをもっと肯定できるように、もっと好きだと思えるように、私も努めたい。

 

 

…もしかすると、今いちばんふさわしい感情は、それができる人への“羨望”というより、“尊敬”なのかもしれない。